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    【諏訪神社の由来】2023年12月11日改訂



  • 御成町の諏訪神社は鎌倉検定公式ブックにも掲載されていない無名で小さな神社ですが、実は非常に由緒ある神社であることがわかりました。
    現在、諏訪大社を本宮とした諏訪神社は全国に25000社(やしろ)あります。
  • 鎌倉時代に諏訪大社の神官(宮司)でもあった諏訪重盛が奉遷したのが、この御成町の諏訪神社と言われています。

  • 当時はかなり大きな神社だったと思われます。


  • 1333年、鎌倉幕府滅亡。多くの家臣が裏切るなかで諏訪頼重が執権・北条高時の唯一の嫡子である北条時行をつれて諏訪国に逃げました。その後、北条時行は3度の鎌倉攻めで短い間でしたが鎌倉を奪還しました。北条時行と諏訪一族は大きな相手に何度も挑む姿は、まるで諏訪の祭神である建御名方神を彷彿させます。

  • あくまでも推測ですが、この小さな神社はこの地域において諏訪系統の中で最も古く、諏訪大社、直々の格式のある分霊社と思われます。
    最古の河口湖の諏訪神社が1241年創建なので、諏訪盛重はすでに鎌倉にいて1221年の承久の乱で活躍している。

  • 国内あまたある神社の中で諏訪神社系は独特の起源を保っています。
  • 氷河期が終わり、地球を覆ってた氷河が溶けて海面が上昇しました。
  • 関東平野の一部が水没して住めなくなった縄文人たちは、道ができた糸魚川ー静岡構造線(フォッサマグナ)に沿って豊かな諏訪の地を目指しました。(縄文海進)
    もう一つの目的は、当時、最高品質の黒耀石を手にいれるためでした。
  • 多くの縄文人が集まり、諏訪の地で信仰が自然発生しました。縄文時代が色濃く残る肉食や狩りや独特な信仰が形成されました。

  • 諏訪大社のトップであった神官の諏訪重盛が、鎌倉幕府の要望で今の鎌倉市御成町付近に屋敷をかまえました。邸内に祀ったのが諏訪神社です。
  • 関東で最初の正式な諏訪神社と思われます。
    推測ですがもっと大きな神社だった可能性があります。度重なる合戦や火災、関東大震災などで消失した可能性があります。

  • 場所は御用邸があった今の御成小学校の中です。
    教科書では1333年に最後の執権北条高時が自害、鎌倉幕府が滅亡とされていますが、実は、唯一の嫡子、時行が諏訪一族に助けられ諏訪大社に逃れます。その後、鎌倉に攻め入り政権を奪還しますが、3日天下で終わります。

    詳しくは... 下記からダウンロードできます

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  •  諏訪神社の境内には、特徴的な形をした狛犬があります 口の中が赤い狛犬は、朱塗りと呼ばれる赤い色で塗られていることが多いです。 朱塗りは、魔除けや厄除けの効果があるとされており、神社や寺院の建物や 神具などにも用いられています。

  • 朱塗りは、日本古来の伝統色であり、日本人にとって親しみやすく目立つ色でもあります。 口の中が赤い狛犬は、阿形(あぎょう)と呼ばれる口を開けた方の狛犬であることが多いです。

  • 阿形は、「あ」の字に似ていることから名付けられており、吐く息や発声を表しています。阿形は、邪気や災厄を吐き出して神域を清める役割を持っているとされています。 口の中が赤い狛犬は、玉をくわえていることがあります。

  • 玉は、宝珠(ほうじゅ)と呼ばれる仏教の象徴的な宝物であり、願い事が叶う力や無限の知恵や慈悲を持つ力を表しています。玉をくわえた狛犬は、福徳や幸運を招き入れる役割を持っているとされています。以上のことから、口の中が赤い神社の狛犬は、魔除けや厄除け、邪気払いや福徳招来などの意味を持っていることがわかります。

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  • 昭和43年頃まであった諏訪の池

  • 〔市役所が移転する前の諏訪ノ森と諏訪の池〕

  • 諏訪の池
    〔昭和43年頃の諏訪の池、今は鎌倉市役所の駐車場>
諏訪の池と校舎
〔奥に御成中学校が見える〕


〔そのときの諏訪神社*鎌倉市中央図書館所蔵〕


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1959年(昭和34年頃)御成町の地図
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